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子供の頃、家に辛うじてステレオといえるようなレコードプレーヤーのシステムがあった。
木目調だが、奥行きが足りないのでLPをかけようとするとスリット状の穴から後ろに数センチレコード盤が飛び出ることになる。 とはいえ、そんな安物であったにしても、幼稚園児、小学生、であった私にそんなものを自由に触らせた父は偉いと思う。 当時家にあったレコードは、ビゼーのカルメン序曲が入ったもの、こども音楽館第一巻、世界代音楽全集第一回配本分の「チャイコフスキー」そしてなぜかハワイアン。他に怪しい無名歌手の試聴盤もあったような気がするが、そこは放送局勤務の父の職務特権。 どれもおもしろかった。カルメン序曲やハワイアンをかけながら弟とふざけて踊ったりした。いわゆる小学○年生のふろくのソノシートもかけたような気がするが、よく覚えていない。 その中でも、チャイコフスキーは、ピアノ協奏曲第一番を中心に意外にも印象に残っている。 子供心にもバカテクのバリバリ演奏だったのを覚えていて、そうか、ピアノってのはここまでうまくならないと食っていけないんだ、と思い知らされてピアニストへの道を断念したのだった。(嘘) では実際に「それ」はどんな演奏だったのだろう。耳も肥え、枯れ始めた今、「それ」はどう響くのか? よっしゃ、ということでヤフオクでこの第一巻を安ぅく落札。LP盤は傷だらけだが、聴いてみたら驚いた。 当時のソビエト連邦が国家的威信をかけて輸出していた録音音源であったはずの演奏である。ピアノはアシュケナージだが、これがスゴイ。へー、アシュケナージってピアニストだったんだ、(爆)と思ってしまいそうな位すごい演奏。(33分のピアノ協奏曲がA面)そして裏面に入っているヴァイオリン協奏曲。これがまた、驚きの演奏。いわゆるバカテクだが浅はかな演奏では決してなく、露西亜らしい重厚で堂々とした演奏。誰が弾いてるんだ?と思ってみてみると、Boris Gutnikovとある。調べると1962年のチャイコフスキーコンクールでピアノのアシュケナージとともに第一位を獲得した1931年生まれの奏者であった。 ■ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23 ウラディミール・アシュケナージ(p) コンスタンチン・イワノフ指揮 ソヴィエト国立交響楽団 ■ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35 ボリス・グトニコフ(vn) ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団 あまりにもすんばらしいので、グトニコフにCD化されたものはないのか、と探してみたが、なぜかなし。コンクールで優勝した位だからチャイコのバイオリン協奏曲はコンクール本選含め複数回以上録音しているはずなのだが。あのロジェストヴェンスキーが指揮しているというのも当時の若手コンビということなのだろう。(今やそのドラ息子が冴えない七光りバイオリニストをしているが・・) イワノフといい、このグトニコフといい、現在入手できる音源が極めて少ない。 コンクール優勝後さっさと亡命してしまったアシュケナージと対照的に、ハッキリ明暗が分かれてしまった、ということなのだろうか。そういえば旧ソ連からは、何度か「幻のピアニスト」みたいなふれこみで出てくる奏者が西側に登場した事があった。ということは本当に幻になってしまった人々が相当数いるであろうことは容易に想像できる。 そして今回不思議に思ったのは、ピアノコンチェルトはとても印象に残っているのに、ヴァイオリンコンチェルトの方は少し大人になったときに「あ、この曲知ってる」と思ったくらいで、当時はあまり印象になかったことだ。 模範解答としては、「ヴァイオリンの音が嫌い」だったからではないかと思う。 実際ホントにヴァイオリンを聴く気になったのは諏訪内晶子が出て来てからだ。実は今でも、ヴァイオリン協奏曲はメンデルスゾーンなんかはそのベタなメロディのせいであまり好きじゃない。 実は子供の頃はソプラノ歌唱も嫌いだった。耳障りで、聴く気になれなかった。高音の感度が良すぎたんだと思う。高校で始めた吹奏楽でも、ホルンを選んだのであった。 そんなわけで、幼稚園の頃既に、自分でピアニストとヴァイオリニストへの夢を断ち切っていたわけだ(爆)。 カセットテープを整理していたら、32年前の、ゴールドブレンドコンサート(78年春、故郷の青森におけるコンサート)のテープがあった。まぁあるのは前から覚えていたが、これを久々に聴いてみて驚いた。
もの凄い熱い音楽。そのうねりに圧倒されるような若い合唱。モツレクなのだが、ヴェルレクが15%ぐらい入ってる感じ(?)。クラシック音楽には向かないと言われていたホールでの、客席からの録音であることが惜しい。 もともと、青森(県)っていう土地は貧乏なだけに合唱が盛んだ。 どういう意味かというと、オケの楽器、特に弦楽器を習うのは金がかかるけど、合唱のほうはかからないから合唱の方が圧倒的に盛んであり、レベルも高い。(ま、吹奏楽は学校に楽器があるからそれはそれで盛んなのだが。) そういう土地柄で、オケ伴奏の合唱曲というのは、技術的にも経済的にもなかなかできるものではなかった。ましてやプロ歌手のソリストを招いて、なんてのは都会の市民オケならまだしも、地方だとせいぜい地元に帰省して安く歌ってくれる歌手がいればラッキー、てなところだったろう。 そんな事情は全国的にもほかにあったんだろう。地元の貧弱なオケをN響OBなどのエキストラで補強して指導し、一流指揮者が振ってテレビ放映までしてしまうという大盤振る舞いのコンサートが昭和50年代、多国籍企業のスポンサーによって行われた。商品名を冠して、その名も「ゴールドブレンドコンサート」。青森以外にもいろんな場所で開かれたが、その指揮は1人の情熱的な指揮者、石丸 寛氏が一手に引き受けていたようだ。 全国的にその名を知る人は多いし、その功績は国内的には山本直純氏と並び称されるほど大きいはずだが、なぜかネット上でも記述が少ないし、CDも現行販売されている物は皆無に近い。つまり完全に過去の人になってしまっている。 そして私のテープは、1978年4月15日に、今はもうない青森市民会館で自分が機材を持ち込み録音したものだ。高校2年の春であったが、当時合唱にも関わっていたにもかかわらずこのコンサートに参加しなかったのは練習が大変そうで面倒くさいという理由ぐらいしかなかった。オーディションがあったかどうか不明だが、当時はもう興味は吹奏楽に移っていたので仕方がない。 その一方で、なぜかその吹奏楽部の仲間を含む何人かの友人は参加していて、高校の音楽室近辺でも音楽部(合唱部)の一味と一緒にこの歌を練習していたのを知っている。 なぜ合唱がヴェルレクのようになったのかというと、合唱団の人数が多く声が音の塊のように迫ってくる演奏になっており、しかも高校生を中心とした男声、主婦と学生を中心とした女声が全く絶妙とはいえないバランスの崩れ方を生み出して大変な事になっているからだ。参加者の能力を最大限まで引き出しているからこそギリギリの線で音楽が成立している、ということなのだろう。 没後10年以上経っているが、何か石丸先生(と呼ばせてもらう)の演奏記録を作ろう、演奏を振り返ろうという動きが(私の知る範囲では)ないということが残念だ。せめてこのゴールドブレンドと九州交響楽団、および九州のアマオケでの活動を記録するレコーディングのアーカイブ位は残っていて欲しかったのだが。おそらく、青森での第一回であるモツレクよりも、さらにすごい演奏もしていたに違いない。ご存命であればこその、まさに「生きた活動」を中心にやっていらっしゃった方だからこそ、このように生前と死後のギャップが大きいのだろう。結果的には、それぞれの土地、それぞれの参加者や聴衆が、当時のコンサートでの経験を心の中に刻んでいるだけだ。もちろん、そうした参加者たちは今、全国各地で様々な音楽活動を行うことで、石丸先生に恩返ししていることだろうから、それだけでも先生はよろこんでいらっしゃるに違いないが。 今回モツレクを発掘して聴いてからしばらくして、石丸先生が死に瀕して最後の仕事として取り組んだブラームス「ドイツレクイエム」のライブ録音CDを入手した。既に廃盤になっていたので入手に苦労した。そもそもこの「最後の」コンサートがあった当時は私も特に多忙だったので、石丸先生の訃報含め知らないうちに時が過ぎてしまっていた。 だから私は、遅まきながら追悼盤でもあるドイツレクイエムを鑑賞するとともに、その演奏を通じて影響を受けた石丸先生に、もう一つのレクイエム=32年前のモツレクの録音を捧げ、勝手に石丸先生と呼ばせていただく事にする。当時のパンフレットは青森県内の3年分を持っており、既に数名の合唱メンバーとはコンタクトを取っている。どなたか、他の地方でのゴールドブレンドコンサートについての記憶と記録をお持ちの方はぜひ記事などをアップしていただきたいものだ。 Hiroshi Ishimaru (1922-1998) was a great conductor in Japan - who worked so hard to pull up skills of amateur musicians at local cities in Japan with his passion. I was impressed so much by his magic which transformed local amateur orchestra and chorus into higher level. Unfortunately, most of his live recordings are not available today. I recorded one of his performance when I was a high school student, which was 32 years ago. The tape contains "Requiem" K.626 by W.A. Mozart. The music sounds so strong and vivid like Verdi's requiem as a result of so delicate collaboration between big (and young) chorus team, local orchestra supported by professional musicians, and Mr. Ishimaru. So I dedicate this miracle performance of Mozart as yet another requiem to Mr. Ishimaru, who left an official live recording of "German Requiem" by J. Brahms as his posthumous work. ジョナサン・ノット指揮 バンベルク交響楽団の演奏会でした。
ブラームスチクルスですが、諸般の事情から交響曲1、4番の先週土曜は行かず、(全部買えないって) 昨夜は 悲劇的序曲 バイオリン協奏曲 ヴァイオリン:クリスティアン・テツラフ 交響曲第2番 濃厚で饒舌な弦楽をうまくそろえて整理しています。 いや、もともとアンサンブルがよくできているのかもしれません。 管楽器群は、木管のみならずトランペット、ホルンに至るまで弦楽器との調和を常に心がけていて、ピッチもぶれなく極めて正確です。確信犯的にバランスがいいです。それを、ホームグラウンドではない会場でもちゃんとやっている。 そうか、よく聴く日本のオケにはコレがないんだ・・ 弦楽器を支えるところでもはみ出さない。 弦楽の上に塗るつや出し剤や「とのこ」の役割をするホルンとか・・ 昔 ホルンは金管だけど木管の仲間、と誰かに教えられたのを思い出します。 ノットの指揮は、奇を衒う事なく、オケのよさを引き出す事に徹しています。 あまり自身の存在感を直接的にアピールしていません。 立ち振る舞いも、腰が低い、英国のジェントルマンという印象です。 しかし、普段の練習はかなり時間をかけて丁寧にやっているかもしれません。 職人、故ホルスト・シュタインの後任として選ばれただけありますね。 結果としてものすごく緻密な、心地よい音楽に仕上がっています。 2番の最終楽章は、最後まで抑制を効かせながらも、内なるエネルギーを燃焼させたものでした。 ヴァイオリン協奏曲は、テツラフのヴァイオリンがノリノリで、このオーケストラとの対比を楽しめるものでした。 次回もぜひまた聴いてみたいオーケストラです。 (今夜も行きます) ■前半のアンコール(テツラフ) J.S.バッハ :パルティータ第三番よりガボット(ヴァイオリン・ソロ) J.S.バッハ :ヴァイオリン・ソナタハ長調よりアレグロ・アッサイ(ヴァイオリン・ソロ) ■後半のアンコール ブラームス :ハンガリー舞曲第2番 ブラームス :ハンガリー舞曲第10番 サントリーホール 二階席センター2列目 国民健康保険に入ろうと試算したら死にそうな金額になったので任意継続を選択。
給料が高すぎたんだよって言われればハイそうです、なのだけれど、ゼロになった人間は払えないものは払いたくない。 でも年金は選択肢はないので国民年金です。 そういえば耳の下のリンパ線が痛い。 早く届け! 保険証。
ついに無職になり、時間がとれるようになった。
と 思ったら意外と何もできないもので、部屋を片付けるはずがなかなか進まない。 ものを捨てる、減らすをやっていくしかないのだけど、それができない。 そんなふうに、実りのない一日を過ごす事が多い。 そんで、実りない一日が今も心残りだから、このパソコンがある机の上や引き出しの中を整理した。 でるわでるわ ゴミ。今まで放っておいた場所が結構あって、しかも最大の問題は、この場所は何をしまう場所、ってのが決まってないってこと。家族がそれぞれ勝手にものをしまっている。いやこんな事を気にしてはいけない。もっと自分のことを考えないと。こんなところはいずれまた同じようにちらかる。それよりも自分のものを処分する算段のほうが先だといいきかせながらさてどうしようか?とまた途方に暮れたりする。 テレビを見始めると録画していた番組をつい見てしまう。結局、たくさん録画しているれども、死ぬまで見る時間がないようなものが結構ある。 そんな中、月曜に見たのは青森空襲を取り扱った番組。 青森大空襲は、避難していた人々が配給停止を役所から言い渡されやむなく戻ってきたところで被災し、死者を増やした、という事実が軸になっている。当時の硬直しすぎた役人の指示や焼夷弾の怖さを知らなかったことに大きな問題があったようだ。さらには、焼夷弾は強化された新型だった。 これは終戦記念日のころに放送された番組で、ちょっと最初のさわりをみていたら娘がやってきてそばに座って動かなくなったので一緒につい最後までみてしまった。1000人以上も死んだらしい。ハンブルクは5万人、ってのは知っていたけど、青森空襲は1000人 当時の人口は10万人だから1%。 昔青森市がまとめた空襲の本を持っていて、引っ越しのときにしか開かないんだけど、そこには個人の手記が載っていた。親や祖父母からも青森市内の国道があんなに広くなったのも空襲があったからだ、っていう話はよく聞いてた。だから全然何も知らなかった訳じゃない。 そして今回番組に登場したのも実体験を持つ70代後半から80代の人たちだ。悲しい記憶を持つ彼らはぼくらよりもずいぶん年上だけど、女性はとくに、まだまだ元気だ。婆様たちは色白で肌がつやつやしている。どうでもいいことだが。 ドレスデンとか、ハンブルク、ニュルンベルクといったドイツの都市も数万人が死ぬような大空襲にあったわけだけど、東京で言うところの都心、銀座や皇居や永田町みたいなところも爆撃を受けて焼かれていて、それぞれ昔の面影がないほどの被害を被った。東京はそこまではやられなかったから、銀座や大手町みたいなビル街は古いビルが今でも一部残っているわけだ。もちろん、大空襲の時以外にも空襲はあったから全部じゃないらしいけど。 焼夷弾が使われた日本とは違って爆薬の入った爆弾がメインで使われたドイツの空襲は、石造り、れんが造りの建造物を破壊するためで、戦後東側だったドレスデンを除くと必死になって戦争前と同じような建物を建てて復興しようとした。それぞれ出張や旅行で見てきたけど、ハンブルクとニュルンベルクはそこそこ美しいれんが造りの町並みを取り戻している。でも、こういう町を訪れると必ず空襲の傷跡を展示するような場所や教会があって、ひしゃげた時計や鐘が飾ってあったりする。さて、わが?青森空襲にかんしてそういうものがあったかというと、県立郷土館にあったかな?ぐらいの感覚。本当はことばで語り継いでいく以前に、そういうものが市内のあちこちにあってもいいくらいのこと=重大なできごとなんだけど。 青森は空襲より前から残っている建物はもう少なくて、駅前のJRバスの建物と、その県立郷土館になっている銀行の建物とか、そんなものかな。海の近くに立ってたコンクリート作りの3階建て位の建物(追記:旧青森市公会堂、大正天皇ご成婚を祝って明治期に建てられ、その後大正末期に増築されたらしい)は小学校のころスポーツ施設(追記:当時は青森スポーツセンター)になっていて、剣道教室を見学に行ったときにはまだあったし、自分が通っていた浪打小学校は昭和ひとけた年代の建物で空襲の傷跡があったけど、いまはもうない。(追記:スポーツセンターは現在跡地に建っている 青森しあわせプラザ、福祉増進センターの入り口の造りにその面影を残している、とのこと。浪打小学校は、職員入口の正門を入ったところにあった円柱のデザインを、現在の建物の正面にモチーフとして採用している模様) そんな空襲のことは、ぼくも直接経験していないし、青森の父母も当時は西津軽郡にいて空襲には遭っていない。でも、ぼくが育った青森という街でそんなことが昔あったんだ、ということが、ぼくの娘にとっても何か感じるところがあったんだろう。あいつは黙って一緒にテレビに見入っていた。ぼくは、テレビに登場する写真の建物や場所についてちょっとだけ解説をしてあげたけれど、それ以外はコメントしなかった。いまはそれで、十分だろう。 実はドイツでもそんなことを見て回っているのは、戦争の傷跡というものに対して個人的に興味があって、強制収容所なんかもわざわざ見に行っているからぼくもちょっと変わっているのかもしれない。 でも、自分が生まれる前にあった様々な出来事(世界中の)を知りたくなるのは人間、誰でもある事じゃないのかな。 別の番組では、戦争で自ら負けを認めなかった旧軍は冷静な議論ができない程機能が麻痺した組織であったことを本人達が反省会を開いていて、その内容をまとめていた。原爆や各地の大空襲など、愚かな旧軍の動きにつけこんで大量の新兵器の性能テストを敢行した連合軍にも問題はあるけれども、結局は「昨今の日本の組織でもいまだ垣間見る事ができるような機能不全」が蔓延していた旧軍参謀本部に問題があったんだっていう事実が関係者の他界によってようやく真っ正面から論じられるようになったようで、なぜ数十万人の人々が無駄に死ななければならなかったのか、戦後64年経ってようやく、これらの方々に成仏していただくべく我々戦争を知らないおやぢ達が冥福をお祈りする事になってしまった。なんということだ。 (追記: 文中のリンク関係、問題あるようでしたらご指摘ください。) MacBookのACアダプタ、MagSafeはとても素敵なデザインで、スティーブ・ジョブズ氏発明かどうかしりませんがデザインに固執しすぎてアイディアが活かしきれていない逸品です。
MacBook Proのデザイン解説ページから抜粋です。 「一例がMagSafe電源アダプタ。今までのように差し込むのではなく、マグネットで吸着するので、電源コードを引っかけてしまっても、MacBook Proがテーブルや机から落下することはありません。さっとコードが外れ、コードやマシンは一切傷つきません。また、コネクタも長持ちします。」 http://www.apple.com/jp/macbookpro/design.html ここまで書いてあれば、コードが断線することはないと誰もが思うでしょう。 ところが、実際には確実に断線します。いや、しました。 これは、引っ張られるのを前提にして設計されているのが磁石部分だけだからで、それ以外の部分には通常の電源アダプタのコネクタ部分によく見られる耐引っ張り設計が、まったく施されていません。磁石ではずれるんだから、いいだろう、と思っているのか、とにかくデザインが第一、と思っているかのいずれかだと思います。 それどころか、実は磁石が意外にも強力で、もし滑りのよいテーブル上に本体が置いてあるときにこの電源ケーブルが本体を引っ張る方向に足でひっかけるとおそらく本体をテーブルから落とすことになります。つまり、ケーブルが伸びている方向に引っ張ったとき磁石はもっとも強力に力を発揮するというわけです。 そして今度は、線を少しでも斜めの方向に引っ張るなら、磁石は外れやすくなるのですが、実際には磁石が外れるまでの間にコネクタに最も近い部分の編組シールド線(ケーブルの中身は電源のプラスマイナスそれぞれを通す為に導体が二層になっていて、その外側の導体は表面のビニールの皮をはがすと網タイツ状にかぶせられています。これをその筋の用語で編組線と言います。)がてこの原理で必要以上の力で引っ張られ、プツプツっと少しづつ、表面には見えないところで切れていきます。実は、コネクタに近い部分のところでは、表面のビニールの皮が途切れているので、余計力がかかる、という要因も関係しています。 結果として、引っ張られる方向と回数によって、容易に致命的な断線がもたらされることになります。 そこで私は研究に研究を重ね、この問題を解決することができました。名付けて、「れごSafe」。 この「れごSafe」の特長は、暇なときにはこのブロックの上になにか組み立てて遊ぶことができ、MacBookのわきにちょっとしたアクセントをつけることが出来ます。さらに特筆すべきは、ケーブルの編組シールド線が切れやすい方向に力がかかったときに容易に磁石が外れやすくなるようレゴブロックの長さによるてこの原理を利用していることです。そして、ケーブルを覆うビニール被覆がある部分がレゴブロックを貫通している為、そうではないオリジナルコネクタと比べると強度は高くなっています。この部分は将来的にはさらに強度を高めるべく改良の予定です。(試作品のためレゴブロックの裏側もまだパテ埋めなどしていません) ただ、大変残念なのは、このMagSafeという磁石によるコネクタはアップル社による特許が取得されているので、この研究の成果を商品としてお届けすることができません。しかも、最も手ごろな材料として子供たちが最近遊ばなくなったレゴブロックを流用してしまった為、これまた商標権や特許がからんでしまいそうです。 アップル社が改善した新品を送ってくれるならこの発明は売り渡してもいいかな、と思っています。(もちろん本体つきで♪) ![]() ![]() ![]() ![]() 有名な欠陥とのこと、断線して壊れてしまったので、直しました。
縛りがきついほうが、長持ちしそうです。 ![]() 今度は もう一つのほう。これも、このあとちゃんと直しました。ふふふ。 ![]() 1月に北海道をスキーで訪れた際に、バスで通りかかって見つけました。
あとで調べると、結婚式場でした。 http://www.takenaka.co.jp/interior/works/mwm07/s08/img/04a.jpg http://www.takenaka.co.jp/interior/works/mwm07/s08/index.html http://www.bc-top.co.jp/bell1.htm なんとも、立派にファシズム様式(全体主義建築という言い方もあるようです)のツボを押さえています。大きな全景写真がないのが惜しい。Google の衛星写真で見ていただくとなかなかの存在感。 (追記:施工したのは竹中工務店さんですが、設計は道内の設計事務所のようです。竹中さんのサイトの情報が消えたので、いくつか追加しました。こちらはなかなかな写真です。) 1)大仰、大袈裟 2)骨太 3)ギリシャ、ローマへの憧れと回帰 4)バランスの欠如、無意味な繰り返し 5)どこか無機質(4と関係ありか) http://www.bc-top.co.jp/kaijyo.html 内部の見取り図を見ると、大広間が並んでいて、まるで第三帝国総統官邸のようです。 私は実はファシズム様式の建築のばかばかしさが好きです。 ナチ党の思想そのものなどには興味はありませんが、今は取り壊されたZeppelinfeldの舞台装置としての存在感、EURの未来志向の既視感覚など建築としては素敵です。 私は個人的には結婚披露宴なるものは壮大な無駄であることを自覚して行いませんでしたが、この建物を確信犯的に使ってのばかばかしい演出による披露宴を行うのなら多少費用がかかっても一生に一回ぐらいはやってもいいように思ってしまいます。 「夢と魅惑の全体主義」 という本が新書で出ていましたが(まだ買っていない=>その後買った)、この本の著者は霊柩車についての著書もあるので、ぜひ、全国の派手な結婚式場についての 本も書いて欲しいものです。 (追記:2008年2月=この記事の公開も) 私としたことが、ベルリンで見たテンペルホフ空港とそっくりではないかと今になって気がついた。まんま盗作といったらかわいそうだけどきわどい線いっています。設計者の方がカミングアウトして「はい、私確信犯です、シュぺーア大好き」って言ってくださればいいんですが。(ちなみにTempelhof flughafenはアルベルト・シュペーアの作ではありません。Ernst Sagebielという建築家です。)
こんな、節ありの、ナチュラルな風合いの杉板無垢材です。
これで床は完成です。 杉板の床材のよさは、冷たくないことです。 はだしで立つと、しっとり、とは言わないまでも、さらさらしています。
杉板の無垢材が届きました。
なぜびっくり!なのかというと、幅が20cmで長さが4mもあるからです。 もともと、2mの、もう少し幅広を予定していました。たまたま在庫がなく、工務店で探しまくってくれました。その結果、狭いけど長いものを発見。立派な床になりそうでわくわくです。 碓氷峠の製材所まで取りに行ってきたそうです。工務店の社長はきのこ取りの名人ですが、今回はさすがに工期の都合もありきのこは我慢したようです。
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![]() by takeyurimiki カテゴリ
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